日本の仏教の特色である僧侶の肉食妻帯について、考えを深めていっている。明治5年の明治政府の布告は、
真宗以外の教団を内容なき
真宗化したわけだが、
真宗では妻帯は
九条兼実の依頼を受けた
法然の命により
親鸞が兼実の娘と結婚したものであり、欲情からではないとされ、肉食は本来殺生と直接結びつくものではないが、武士から山の民・河の民に教線を伸ばしていくに当たり、殺生と肉食が結びついていて、それらを信徒としていくこととなった。
喜田貞吉の学問業績を紹介する中で、古代の私度僧に妻帯の発祥を見、また殺生をすることで動物に仏縁となる論理の紹介など、日本社会の仏教受け入れの柔軟性といい加減さ、差別の後押しをした殺生戒の強力さの一方の逃げ道の用意。さまざまな議論の展開が考えられるテーマだ。