昭和戦前期の政党政治 筒井清忠

大衆民主主義では政策だけでなくシンボルが重要で、朴烈事件は、天皇のシンボル性が明らかになった。第一次若槻内閣はこの「怪写真」事件で倒れたようなものなのだ。そして田中内閣では、識者は「不自然な多数」と攻撃し、天皇とメディアという非政党勢力が内閣を倒したのだが、これらは容易に反政党政治に立場を変えうる。浜口内閣は「天皇・宮中・メディアによって支えられた内閣」だったが、第二次若槻内閣は、満州事変によってそれまで追い詰められていた陸軍が台頭し、メディアはその方向に大旋回する。国民・メディアが政党政治をすぐ批判し代わるものを求めるのではなく、見守り育てる姿勢が必要だということが、歴史からくみ取るべき教訓ということか。大分県の事例は、ほんとかね、というくらいバカバカしく興味深いが。