武士の成立 武士像の創出 高橋昌明

馬術や弓などは、京都が本場で、流鏑馬なども京都で行われたのが地方に広まった、すなわち、治承・寿永の内乱では平家方の方が本来の武士で源氏に加わったのはアマチュア、京都大番や地方では国司に認められる軍役に参加することが「武士」と認められた、という点、決して実用的でない馬上の長弓にこだわったのは、京都の武官が本来の武士、という意識があったからでは、という点など。

武士の成立 武士像の創出

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