伝説の将軍 藤原秀郷 野口実

伝説の将軍 藤原秀郷

伝説の将軍 藤原秀郷

「あとがき」から察するにひょっとしたら『人物叢書』の一環として構想されたのかもしれないが、御伽草子に発展した田原藤太」の前提となった子孫たちの話となっている。代表的なのはもちろん平泉藤原氏。そして武士の象徴として秀郷流を継承しようとした頼朝の思惑を背景にした小山氏。最も興味深かったのは、南北朝期、どちらでもない「藤氏一揆」の風聞。前関白近衛経忠が関東の藤原氏を糾合し、小山氏を関東管領に擬す、という動き。このころ、小山氏の当主朝氏が名を朝郷(秀郷への意識)と改め、興良親王を迎え、北畠親房南朝への与同を鎮守府将軍を条件に働きかけるなどの動きである。遡り、秀衡の「秀」も秀郷を意識したものというが、そうであろう。