嫌悪という誰でも持っている感情の、おそらく何のためらいも持たない無邪気でやんちゃな排泄者として、
石原慎太郎は存在している。
朝鮮人差別、障害者差別、強い者への反感、弱い者への蔑視。マッチョ幻想。自分でワイシャツのボタンをとめるようにおそらくは繊細で自分でやることと他人にやらせることの違いを心得ているのだろうけど、権力者となってはいけない人物なのだ。それを選ぶのは、やはり社会全体が排泄を求め、それを恥と思わない、快感を感じる層が増えてきているからなのだろうか。第7章「私物化される公共空間」を読んでいくと、どんどん憂鬱になってくる。この人物に道を開いてしまった
青島幸男の罪は本当に重い。優しさが優柔不断に過ぎないことに失望した都民が空疎な独裁者を選んでしまったのだ。