中世日本の外交と禅宗

中世日本の外交と禅宗

中世日本の外交と禅宗

宗教と貿易というと、南蛮船とカトリックの宣教師、というイメージだが、日明・日朝・日琉といった貿易は禅僧の存在なしにはありえなかった。そのなかで、幕府と密接に結びついた夢窓派だけではなく、大内氏などは聖一派や幻住派、領内の菩提寺を通じるなどさまざまなネットワークでさまざまな禅僧を使っている。それは、九州は中国からの商人を中心に早くから禅寺がつくられ(博多禅)、貿易のノウハウも蓄積されて、聖福寺承天寺(じょうてんじ)といった寺が中心となった。一方で幕府の勢力が弱くしたがって夢窓派の勢力がほとんど進出していない。▽文明15年の遣明船の第2船が内裏船となり、その「居座」となった取龍(しゅろう)は甘露寺親長の弟であり、荘園請負にも関与した。▽琉球僧は足利学校に学んだ。▽禅宗は法系が厳密だが、幻住派は「密参」という形でさまざまな法系との人的ネットワークをつくった。