平安時代の天皇と官僚制

平安時代の天皇と官僚制

平安時代の天皇と官僚制

▽第1部第1章「古代日本の四等官制」。省ではほとんどの政務が次官(輔)決済、寮では長官(頭)というところから、五位以上と以下、という原理、主典が決裁権を持たないことから、六位以下は主典まで、という身分の壁、そして卿・尹は、諸王や四位以上の諸臣が就いた尊貴性という、四等官制がきわめて氏族性的要素を残したものであった。▽別当制は、担当官司に所属せずに、官司を代表する場合や天皇に報告する場合に登場する。その点では八省の卿に非常に似ている。天皇との人格的なつながりで官司を統御しようという狙いであったが9世紀から10世紀にかけて、かたや蔵人が務め、かたや太政官に包摂される形に変質する。▽天皇の食事は、朝夕御膳として全国から調進されたもの+御食の国+贄、という形で調えられたものを椅子に座り銀の箸や匙で食するものが、平敷きに座り、土器・木箸で食べる朝干飯御膳に移行し、朝夕御膳は形式だけのものとなる。▽こうした変化が9世紀から10世紀にかかる時期に起きたことについて、著者は、唐の崩壊を挙げる。唐が滅んだとき冊封関係にあった周辺諸国がいっせいに滅亡したが、このとき日本も天皇の食事のあり方からも全国を一律に支配するという律令制理念が希薄化している。刑罰では断罪奏がほぼなくなり、検非違使庁例に代わる。天皇が一権門化している。ということは、王朝は継続しているが、律令国家としてはいったんゆるやかに滅亡したと言えるのかもしれない。この時期、平将門の乱があり、将門が渤海国の滅亡の例を挙げているのも大いに関連がありそうだ。