ゆるやかなカースト社会・中世日本 大山喬平

ゆるやかなカースト社会・中世日本

ゆるやかなカースト社会・中世日本

▼「ゆるやかなカースト社会」。インドの「ワタン」が日本中世の「職」のあり方にきわめて近いものがある、仕事を儀礼的行為=トリルと非儀礼的賃仕事=ヴェーライと再定義し、強い世襲性を帯びたトリルとしての儀礼的行為が天皇とその周辺、穢多・非人・猿飼・陰陽師など列島の周縁部分に濃厚にとどめられている。平安時代に貴族層の上下の家格層が固定され王家と摂関家の間にほとんど内婚制に等しいような婚姻が繰り返された、とする。どうしてこんな着想を得たのか、よくわからないが、ユニークではあるが、生産性の弱い社会のいわば共存共栄的すみわけとしての分業とそれを永続させるための慣行としての身分固定化(差別に通じる)という以上の共通の土台を見つけるのは難しいような気もする。『猿曳遁兵衛』でも猿曳きが出てきたが、なるほど、被差別民であったか。▼中世の日本と東アジア」。触れられているのは多方面で一番魅力的か。「新猿楽記」から、平泉に地方特産市場の成立を見、藤原頼通に名籍を捧げ日本の爵位を望み大宰大弐藤原惟憲と結託して宋朝朝貢しようとした周良史など、宋・高麗との通好。日本と異なり戸籍を作りつづけ、賎籍焼却問題などから、ウジ・イヘに対する日本との違いを考察している。▼「西楽寺一切経の在地環境」。結縁者から、今まであまり考えなかった武士団の結合についてまで論を展開している。ウジ・イヘ・ヤケについて論じ、相舅(アヒヤケと読む)が中世の族的結合の横軸(現在を共有する集団)をなし、イヘの縦軸(過去・現在・未来を共有する集団)とあいまって存在し、横軸はヤケの内部にとどまりイヘの運命を左右することは巧妙に回避されていた。またこの関係は、中核となるヨメ・ムコ関係の存続によってのみ保証されている。中世においてイヘとしての武士団の外延部にその武士団にとっての婿が恒常的に現れるのはそのため。