新・木綿以前のこと 永原慶二

柳田国男の『木綿以前のこと』が木綿による日本人の精神生活の変化を論じたのに対し、経済社会生活の激変の要因となったことを指摘しようという意図が、タイトルからもうかがえる(著者はあとがきで謙遜しているが)。副題「苧麻から木綿へ」とあるように、古来日本の伝統的な繊維は麻だった。麻は非常に手間が掛かり、濃化の女性は、冬中夜中中かかっても家族分の需要を充たすことができるかどうかで、なかなか市場に出せるだけの余剰生産が難しく、また作業的に青苧作りまでは生産農家が一気に仕上げなければならなくて、せいぜい、晒しの工程くらいしか分業できなかった。それが木綿が導入されると、農家は、土地の生産性を高めようと干鰯などを投入し、栽培に麻よりも手間のかかる木綿のために土地生産性だけでなく労働生産性も上げようと時間を作り出すために、千歯こきや千石通し、唐箕などを発明していく。また染めやすい木綿の特性から藍の生産にも刺激を与え、夜なべ仕事のために菜種油が農村にも入っていく。
▽木綿が帆船の帆布として、莚よりも風を孕む、として船の大型化に対応していたという指摘は、着眼点として独特なものを感じる。
▽「三 苧麻と植え・績(う)み・織る」と「八 木綿と植え・紡ぎ・織る」は、それぞれの繊維の栽培から布までの作業を紹介している。苧麻は栽培は粗放的だがその後の作業は木綿と比較にならない。現代の高級品の場合ではあるが、「麻は、木綿の10倍かかる」そうだ。一反の布を織るのに40日かかるとか。
▽木綿の普及は江戸中期、という通説に対して、室町後期に九州や三河など全国でほぼ同じに始まった(九州が最初かもしれないが稲作と違って西漸ではなかったとする)木綿の栽培は江戸前期には、相当広まっていた、と文献から主張している。