院政期文学論 小峯和明

院政期文学論

院政期文学論

大江匡房は、日本から医師を招きたいという高麗に対する返牒を作り、その教養あふれる表現が、後に太宰権帥になったとき、宋の商人から、宋の宮廷でも評判になったと聞かされると自慢(おそらくは、お世辞か捏造)。「対馬貢銀記」は、高麗との間の緊張関係をうかがわせる。義親事件は、東アジア一円の交易利権の確執で、スケープ・ゴートとして排除されたか。「鉱山の採掘や精錬をはじめ、種々の技術が高麗経由で伝わったとみるのは自然な流れ」。三人ひと組で一人は灯り(「地星」)を持ち、一人は器、一人は槌。二,三里掘り下げた行動に雨水が漏れた時は、三、四百人が連座して掻きだし、採掘した鉱石は風のある高山にさらし、松の薪で数十日燃やして水洗いする。五十丈の綱をつけて船で大宰府に運び、あとは陸で京に運ぶなどの、労苦をつづる。▽『大鏡』は、道長の視線で政敵・子孫が衰えた皇族や貴族の様子を描く。▽院政期は、注釈と絵巻と類聚の時代。