民主化の韓国政治 木村幹

民主化の韓国政治―朴正煕と野党政治家たち1961~1979

民主化の韓国政治―朴正煕と野党政治家たち1961~1979

岩波新書の『韓国からの通信』『続・韓国からの通信』を愛読していた体験から、軽い懐かしさもあって、読み始めた。なるほどである。民主化として歓呼の声で迎えられた第六共和国体制は、非民主的として批判された第三共和国体制(これと続く「維新体制」が『韓国からの通信』で批判されているわけだが)とは、大統領に強大な権限を与えている(法案提出権と拒否権を両方持っている)点で共通している。その違いは何か、なぜ第六共和国は安定し第三共和国は不安定だったか、を、民主主義とナショナリズム、制度への信頼という二つの側面から分析している。▽大韓帝国から大韓民国臨時政府を経て続いている、という正統性を主張する韓国にとって、日本との国交正常化を進める政府ではなく、反対する学生がナショナリズムの担い手となった。野党は、国交正常化反対に徹しきれず、民主主義(一応、大統領選挙と国会議員選挙が行われていた)の制度とナショナリズムとが相対した時、制度圏は結束して対抗した。▽第二共和国で功成り名を遂げたユン・ボスン前大統領は、第三共和国体制、すなわち「制度」を認めず、強硬姿勢をとったのに対し、壮年で、今後の活躍の場を奪われることにつながる軍政復帰を恐れるユ・ジンサンらが、第三共和国という「制度」を一応認める穏健な路線をとった。自らの大統領復帰に拘泥し、野党の分裂を誘ったユンの行動は、あまり共感できるものではない。▽古い人材が居座った野党にとって40代旗手論で息を吹き返す。その立役者であるキム・ヨンサムもキム・デジュンもかつては穏健派だったが、維新体制が強硬派へと過去の言説との矛盾なく追いやり、大統領直接選挙制というかつて受け入れなかった「上からの民主化」である第三共和国体制を民主主義の象徴のようにイメージさせることになった。