享保改革と社会変容 大石学・編

享保改革と社会変容 (日本の時代史)

享保改革と社会変容 (日本の時代史)

享保の改革と田沼時代。吉宗と意次は、どちらも将軍や老中になるべくしてなったのではなく、アウトサイダーから這い上がってきた人物という共通点があるわけか。▽「鷹場」を江戸周辺に将軍用、さらに周辺には御三家用と設けることで、関東地方を領主横断的に掌握していった。▽上方支配も、当初、京都町奉行配下だった代官たちが、大坂町奉行の指揮下に入るなどの再編成をしつつ、江戸の勘定方の支配が及んでいく。▽18世紀初頭の富士山噴火と終わりの浅間山噴火を比較すると、公儀の「御救い」力が衰え、民間の力が伸びてきている。▽近世中期の藩政改革は、初期の「名君型」ではなく、「名君・賢宰」型になっている。「賢宰委任型」は主君が抵抗勢力にもなりかねず、不安定。▽「乙事村」のアーカイブスを紹介している。▽女性は相続から外されているが、養子の妻となるなど、血脈を伝える意味を持たされていた。▽「本草学」の知識が、いたずらに獣肉を卑しむ社会通念に疑問を抱かせ(香川修徳)、安藤昌益では、それが、社会秩序への根本的な疑問へと通じている様子がみられる。