古代豪族が、郡司として
国司と協力・対立・利用の関係のなか、やがて騒乱を経て棟梁クラスの
武家に従う武士になっていく。郡司任用の多様化は、冒頭で出た都で仕えていた舎人や兵衛の登用を可能にした擬任郡司など豪族間の郡司の地位をめぐる争いにつけこんだ、徴税不足を綱領郡司に押しつける
国司側の動きや、受領
国司を訴えたり任用
国司と連携して襲ったりする郡司側の動きも。やがて武芝事件での将門のように、郡司と
国司あるいは郡司層ど
うしの対立の調停などを通じて、家礼として組織されていくのだろう。