中世公家と地下官人 中原俊章

衛府が供御を貢進する行為は呪術的な意味が含まれ、検非違使警衛も、滝口も。衛府が内裏の清掃を担当するのも。検非違使が河原などの興行を仕切るのも、穢れとの関わり。それが坂など交通の要衝を押さえることにもつながり経済的な意味を持つ。▽地下官人たちは特定の権門だけに属するということでもなく、「家格・身分はどの権門にも通用して所職を得ることができた。各権門もその権門に属する職員・家人のみに所職を与えた訳ではなかった」。▽随身は、近衛家は下毛野氏、院が秦氏九条家に派遣される場合も。▽地下官人層は院との繋がりもあり、因幡の国務について中御門宗忠に嫌がらせしたりした。後白河院と繋がりのある(院主典代をつとめた)安倍資良が藤原基房の知行国伊予の目代に永万元年(二条天皇が退位死去した年)に見え、後白河院と基房との接近が早くから始まっていたこと、など。それにしても読みにくい本であった。