近世日本と朝鮮漂流民 池内敏

近世日本と朝鮮漂流民

近世日本と朝鮮漂流民

漂流・漂着について論じることはそれ自体が目的ではなく、境界や自らの帰属についての意識を探ることが目的のはずである。その意味で、本書は大変参考となる事例が載せられているものの、遠慮しているのか、残念だ。▽江戸時代、日本に漂着した朝鮮人は、長崎までは諸藩の費用で送り、長崎から対馬を経て還された。漂着する地域と漂流民の出身地・目的(公用・漁業・商売)の関わりは、筆談の可能性や通事の必要性にも影響を及ぼす。著者は薩摩藩朝鮮語通事の存在を密貿易と結びつけるのには否定的だが、地域的には長州や石見などよりも、全羅道からの漂着が多く公用や商売など一定の意思疎通が可能な漂着民が多かったのではないか、と予想されるのだが。▽また、「悪党漂民」への取り扱いに厳しい長崎奉行と、丁寧な取り扱いが日朝間の関係を順調に推移させる、という対馬藩の方針の違いはわかるとして、単純ではないのが、蝦夷地に漂着した李志恒が、松前藩の扱いには感謝しつつ対馬藩には冷淡であることである。これは、漂着が少ない地域では日本人や諸藩との関係も良好で、比較的多いところでは、トラブルが起きるということと同根であろう。▽明治維新後、「皇」「勅」などの文言から日朝間の公的な関係が絶たれる中、漂流民送還が唯一の外交窓口であったことはわかった。▽文政二年の漂着について、鳥取での応接の様子くらいしか記載せず、竹島問題の重要な要素でもあることに全く触れていないのは残念である。また、米子の商人が欝陵島から朝鮮人2人を拉致してきた話も、漂流とは関係ないという理由からではあろうが、注で軽く触れる程度ではなく、詳しく知りたかった。