朝鮮王朝時代の世界観と日本認識 河宇鳳

朝鮮王朝時代の世界観と日本認識

朝鮮王朝時代の世界観と日本認識

▽朝鮮は中国が明から清に替わったことで本来の中華を称し、日本を蔑視したことは知っていたが、そのこと自体が中華秩序を相対化する面もあり、また日本への意識は、初期から安定した中期・後期とで、日本側が将軍権力の限られた室町幕府から戦国期、江戸幕府へと変わったことに伴い変化していく。▽対馬については、かつて朝鮮のものであり「応永外寇」後には一時服属した、という意識を持ち、著者自身、竹島(独島)への日本の領有権主張よりも韓国の対馬領有権主張の方が根拠があるとしているくらいだ。▽朝鮮通信使の見た日本では、学問は科挙がないために遅れているとするか、自由な発展があるとするか、見方が分かれているが、技術が進んでいるのは世襲のためであろうとしている。▽朝鮮からの漂流民については、経済的には日本の発展ぶりに目を見張り文化的には劣っているとしている。鳥取藩や松前藩のように、珍しいところでは非常に優待され、それが友好的な感情のもとになったが、しばしば漂着するところでは負担であり騒動になるところがあったようだ。確かに山口県などは多そうである。▽東学の教祖・崔済愚の思想の根底には、豊臣秀吉による朝鮮侵略によって植えつけられた根深い反日嫌日感情があり、こうなると、それまで述べられていた知識人レベルでの中華思想から脱却して日本をとらえようという流れが、民衆レベルからは全く遊離したものだったのでは、という思いもしてくる。